じいちゃんが死んだ
2021_1212
朝、アラームかと思ったら父からの電話だった。
連絡帳に登録してなかったが番号で父だとわかった。
日常的に連絡を取らないようにしているので、その時間にしかも電話ということで何かあったんだとわかる。が、電話には出なかった。
その次にメールが来た。祖父が危篤とのこと。
折り返して通話する。
とりあえず私も祖父母の家がある大阪へ行くことになった。
交通費がないと言うと父が新幹線代を出してくれた。
私が家出した日のことや恨みが募って吐き出した暴言は今も父の脳内に刺さったままらしい。
反省と後悔を発する父、それに少し申し訳なく思いながらも当時の私の言動を撤回する気はなく、当時の父を許す気にはならないので、そのまま苦しみを抱えててくれと思った。
そして何故か1月から正社員になることを知っていた。私話したかな。
何を言いたいかというと、交通費は仕事への祝いと反省と後悔から出てきたものらしい。
有り難く借りて新幹線に乗る。
そうか、エスカレーターは右乗りなんだな。何度か間違えた。
久しぶりに会った父 祖母 叔母 叔父、みんな歳をとっていたけど変わってなかった。
祖父はきれいな顔して魂抜けてた。
お弁当を買いに祖母と一緒に歩いてスーパーへ向かう。
古い家が新しい家に建て替わっていたり、なかったお店があったり、変わったんだなぁと思いながら歩幅の狭い祖母と歩いた。
みんなの顔を見にきただけ、葬儀には出ない。
あっという間に陽が暮れて、また新幹線に乗る。
やっぱり2、3年後には関西に引っ越したい。大阪か京都。
ドトールの抹茶ラテとコンビニで買ったモバイルバッテリーで落ち着く。
早くて長い1日だった。死んだ人って不思議。